「なんとなく」は悪ですか?

皆さんは自分のことをどれだけ理解していますか。

自分が何を考えて、何を感じているか、

それを冷静に言葉にできるでしょうか。

そんなことを考えたこともないかもしれませんね。

今回のテーマは「衝動」。

自分自信を客観視するのがアーティスト?

最近、「自分自信を客観視するのがアーティスト」と言う話を聞きました。

自分自信を客観視することで、

自分の感情や思考と向き合い、

そこから何か外に表現をするから。

ということらしいです。

 

まあ、納得です。

沸々と湧き上がる何かを自分なりに解釈して、

そこから外に向かってエネルギーを放つことで、

作品が生まれるのでしょう。

 

社会に対する批判や問題意識、

自分自身に対する問いかけ、

大切な誰かに向けた思い、

亡き者に対する敬意と畏怖。

よく聞く話ですよね。

 

歴史を振り返ってみれば分かりますが、

過去の偉大な作品達は必ずそういったメッセージ性や

作者のストーリーが織り込まれています。

 

僕自信もそういう風に作品を考える時はあります。

でも、振り返ってみると、

案外そうじゃないパターンもあるなと思い、

少し疑問が湧いてきました。

理由は必要か?

僕が作品を作っている時、多くは単なる衝動です。

「なんでここがこうなってるの?」と聞かれても、

「なんとなくそうしたかったから」という答えになります。

論理もくそもありません。

でも、それでも作品はできます。

 

そういう意味で行くと、僕は面接や志望理由がかなり苦手。

「なんで?」って質問には、「なんとなく」と自然に答えたくなる。

でも、それじゃ話にならないから、

無理やりなんとかこじつけて

かっこいい理由を言ってみたりする。

でも、それは本心じゃなかったりするから何か悔しかったりする。

 

話がそれましたが、

自分にとっては衝動で動いているのが自然で無理がないので、

何か理由を固めていくことに対して、少し違和感を感じる時がある。

衝動だけで生きる

「自分の行動くらい説明できるのが一人前」

と言われればそれまででしょう。

そっちの方がスマートで大人だと思います。

 

当たり前だけど、衝動は常に予測ができません。

なので、社会で生きるには非常に適応しづらいです。

ちょっと前までAに興味があったのに、

5分後にはBが好きになっていて、

Bが終わったらCにハマり出す、

みたいなことが当たり前に起きます。

そりゃそんな奴、信じづらいし付き合いづらいもん。

 

けれど、

衝動だけで行動してみた時の楽しさや、

心の開放感と満足感、

自由になったような快感は本物だと思う。

何よりワクワクするし。

 

だから、

世間との折り合いが多少あるとしても、

俺は衝動だけで生きられる人生を目指してみたい。

だから、相変わらず何でもかんでも手を出すのです。

まとめ

補足で主張しておくけど、

自分自身を客観視することはとても大切。

それによって多くのことを学べるし、

自分の思考と向き合うことで成長する。

マジで大事。

 

でも、

そうじゃないパターンも同時に認めてみてはどうでしょうか。

なんとなくは悪でしょうか?

もしかしたら、

その衝動の中に自分の本質が隠れているかもしれませんよ。

 

これを読んだそこのあなたも、

読み終わったらすぐに、

“なんとなく”で行動してみたらどうでしょうか。

 

けーすけでした。

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